これまでの人生をふりかえってみた⑥

 

こんにちは、ふむにゃんです☆

 

いよいよ大学時代編に突入です。

 

大学時代は4年間東京で過ごしました。

最初の2年間は何ともなかった。何とも…。

普通にJDやっていました☆

お盆も正月も実家に帰らず、一人で過ごしていたことを除けば。

嫌だった、地元に帰ったら嫌な思い出等が色々とフラッシュバックしそうで。

 

でも後半2年間、大学3年生になる直前、今まで頑張ってきた糸がプッツン切れました。

「もうこっちは疲れているんだよ、震災後で大学の入学式にスーツも買ってもらえなくて、授業料免除の手続きや奨学金の手続きに追われて、挙句の果てにお母さんに電話で「原宿でそのへんのおじさんと食事でもしてお金をもらってきたら」とか言われるし。教員免許が欲しいけれど、母校で教育実習なんてしたら、いろいろ思い出して気分が悪くなって倒れちゃうかもしれないし、もう全部、何もかもが嫌-----。」

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今ならわかる、大学まで行かせてもらえることがどれだけありがたいことか。

母校だろうがなんだろうが、教育実習生を受け入れることが学校にとってどれだけ負担か、受け入れてくれることがどれだけありがたいことか。

なんだかんだ仕送りしてくれてありがとうとか、今なら言える。

でも当時は「どうして自分ばっかり不幸なんだろう」って思っていた。

精神的に疲れていて、感謝の気持ちなんて持てなかった。

 

そしてツイッターに手を出しました。

「つらい」「死にたい」ってつぶやきました。

ツイッターで知り合った人に会ったら、家の住所がなぜかばれて、家の前まで来られました。

「メンヘラなら簡単に心身許してくれると思った」。

怖いっていうより、悲しかった。

「私のことを助けてくれる人なんてこの世に誰もいない。優しいふりをして近づいてきて私を傷つける。みんな悪魔だ。私は全人類から嫌われているんだ」って。

 

でも、ここで本当にありがたい、運命的な出会いをすることになります。

大学の授業でお世話になった心理学の先生です。

教員免許を取るためには、必ず教育心理学系の授業を取る必要がありました。

 

教育現場では、保健室やカウンセリングってよく賛否両論わかれます。

「生徒を甘やかしている」と非難されることがあります。

でも、病院やカウンセリングルームと違って、たまーに研究室に遊びに行ったりお茶会をするのが楽しかったです。

 

「どういう風に私の気持ち・モヤモヤを表現したら、言語化したら、言い表したら、

この先生に私の気持ちを理解してもらえるのだろうか…」

 

「理解してもらいたい」という気持ちは、私を読書へと導きました。

自分の気持ちや生い立ちにピタリとくる表現をみつけては、手帳によくメモをしていました。

 

ここで、読者の皆様にお勧めの本を2冊ほど紹介したいと思います。

 

ささやななえ著『凍りついた瞳』シリーズ

児童虐待に関するマンガです。

虐待を受けた登場人物の感情表現がとても勉強になりました。

 

② 土井健郎著『「甘え」の構造

自分の「本当は母親に甘えたかった」という感情が、複雑に折れ曲がったり入り混じったりして、自分の気持ちのモヤモヤや行動にどう反映されているのかを自己分析するのに役に立った1冊です。

 

読書家のSさん、ぜひ読んでみてください(100パーセント私信)

 

今日はこの辺で。

つづく…。

これまでの人生をふりかえってみた⑤

 

こんにちは、ふむにゃんです☆

みんなボランティア頑張ってー(私信)

 

お次は大学受験編。

 

大学は、国公立大学前期と国公立大学後期、私立大学二次試験を受けました。

 

本当は私立大学を受験する気はなかったのですが、

「卒業式前日の卒業アルバムを配る日と、卒業式を合理的な理由でさぼりたかったから」という理由で受験しました。

受験日が2日間とも卒業式前日、卒業式とかぶっていたんです。

 

国公立大学前期は見事に落ち、国公立大学後期を受験することになりました。

 

国公立大学後期受験前日、とある出来事が起こります。

そう、東日本大震災です。

 

受験で実家を離れていた私は、帰宅難民となり、地元に帰れなくなります。

どうしたか…1週間ほど、近くで一人暮らしをしていた姉の家で、母と私と姉の彼氏、姉の4人で生活をします。

 

これだけだったら「地震大変だったね。」で済むんです。

これだけだったら。

 

姉の家で3日ほどたち、母がやつれ始めたころでした。

実家に残してきた妹への心配もあったのでしょう。

凄く神経質になり、やつれていました。

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ママにゃんお怒り。

 

今なら言える、「私が前期試験落ちたくらいで地震なんて起きないわ‼偶然だから‼」と。

 

でも当時の私は素直だったので(自分で言うなよ(笑))言えなかったです。

「そうか、、、私がバカだったから、前期試験に落ちたから、

大きな地震が起きたんだ…。お亡くなりになった方々ごめんなさい。

私が、私が地震で死ねばよかったんだ」と本気で思い込んでいました。

 

しばらくたって無事地元の家に帰り、上京の準備をして、

私は国公立大学後期の大学に進学しました。

 

つづく…。

 

 

 

 

これまでの人生をふりかえってみた④

こんにちは。

ふむにゃんです。

 

もうそろそろ高校時代編に行きますかね…

高校も、姉や妹は地元のトップ校に進学しましたが、

私はやはりそこそこのレベルの高校に進学します。

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高校時代は比較的平和だったのですが、、、

とある事件が発生します。

 

「ストレスからか眉・まつ毛・髪の毛抜いちゃう事件」

勉強していたら無意識に抜いているらしく、

自分の勉強机の周りが髪の毛だらけなんですよ。

もうホラーでしたね。

 

心当たり…夜勉強していると、お酒で酔った母親に背中をつねられていました。

「頭悪いんだから、無理に大学に進学しなくてもいいのよ」と。

 

「お酒で酔った母親」が当時も今も一番怖いです。

 

高校3年生、、、そう、、「卒業アルバム」を撮影する時期になるわけです。

担任に交渉しに行きました。

私「眉も髪もこの通り抜けてまだら模様なので、卒業アルバムは似顔絵イラストでいいですか。」

担任「クラスメイトなのだからそういうわけにいかないだろう。」

 

はい、強制的に別日に写真館でとらされました。

 

カメラマン「笑って笑って…」

笑えるわけないだろーが。私は女優ではない、普通の女子高生だ。

 

でも、基本弱気なふむにゃんは、そこで暴れることもできず、

心は泣いて、顔は笑って写真に写ります。

「未来の子ども達に私と同じ思いを絶対にさせない。」と固く誓いながら。

アルバム? もちろん買いませんでしたよ、えぇもちろん。

 

 

ここで終わりではないんです、この話。

 

無事大学に進学し、大学1年生の後期、

色々調べてみたんですね、「卒業アルバムに写ることは生徒の義務なのか」って。

 

色々事例を調べたうえで出した、私の結論

「卒業アルバムに写る写らないは個人の自由」

私なりの根拠

・少年犯罪を犯した子は卒業アルバムに載せず、希望者に写真シールを配って対応した事例がある。

・学校によっては不登校児童・生徒は写真を載せない事例がある。

 

↑ え…無理に私、アルバム撮影しなくてもよかったのでは??

 

同じ大学に進学した高校の同級生に「お願いだから、高校時代のアルバムを大学に持ってくるのだけはやめて」と頼み込む日々。

 

 そして、今も、あの嫌々笑って写ったアルバムがこの世にあると思うと

めちゃくちゃ怖いし、無理やりアルバム撮影をさせた教員や母が憎いです。

 

はい、次は大学受験編にいきます。

つづく…。 

これまでの人生をふりかえってみた③

こんにちは、ふむにゃんです。

 

まだまだ続く、中学校編。

ここでは、修学旅行事件でもふりかえりましょうか…。

 

行きたくなかった修学旅行…だって友達いないですもん。

でも母に言われました、「義務教育だから行け」と。

「行きたくないのなら、自分の口で学年主任に説明してきなさい。」

 

親が嫌い、クラスメイトが嫌い、学校の先生が大嫌い、とにかく周囲が大嫌いの思春期・反抗期真っ盛りの私が、学年主任に説明なんてできるわけがない。

泣く泣く参加します。

 

 

そして事件は修学旅行最終日の夜…

帰りのバスの中でとある男子が「お化けを見た!!」と言ったことがきっかけです。

 

自分の心のなかにこの出来事をしまっておけなかった私は、

ついつい他の子たちに言ってしまうんです。

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女の子たち大泣き。

 

それを見て「友達になりたいだけなのに、お化けの話をしたら一緒に盛り上がってくれるかなと思ったのに、どうして泣いちゃうの?? それに一番怖いの、男子から直接聞いた私なんだけど。」と私も大泣き。

 

でも今ならわかる、こんな私みたいな根暗に「お化け見た」って言われたら、冗談としてうけとめられず、確かに怖いかもなってこと。

 

そして2泊3日のストレスも重なって、泣きながら手の震えが止まらなくなり、過呼吸状態に。

女の先生が、私を落ち着かせようと抱きしめるも、それも逆効果に。

だって私、母親が皮膚過敏でボディタッチがない家庭で、しかも友達いない、スキンシップなれしていませんもん(笑)

 

「ぎゃー」発狂しました笑。初めて学校の先生の手を払いのけました。

発狂し疲れて眠くなった頃、なんとか平常心を取り戻し、事態はおさまりました。

 

これだけで終わらなかった、修学旅行。

帰りの電車?新幹線?の中。

「保健の先生にお世話になったら、保護者の方に連絡することになっているの。

 今日の夕方、おうちに電話するね。」

 

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私は心配だったんです。

「私に抱きついた女の先生が、いくら女とはいえ、セクハラで訴えられちゃうのではないか」と。一気に憂鬱な気持ちになりました。

 

家…電話が鳴る…

先生「じつは、こんなことがありまして、私がぎゅーってだきしめてあげたんです」

(↑母曰く、こう言っていたらしい)

母…大爆笑

 

でもそれから色々嫌味言われましたよ、、、

「ママ以外の人にぎゅーしてもらえて安心した?」とか。

 

「母親以外の人に甘えちゃいけないのだな」となんとなく学び、

余計に心のガードを固くするきっかけとなった出来事でした。。

 この女の先生は本当にトラウマです。

つづく。

 

 

 

 

 

これまでの人生をふりかえってみた②

 

こんにちは、ふむにゃんです☆

 

いよいよ波乱万丈中学校編いっちゃいます。いじめや自殺未遂等の記載があるので、フラッシュバックある方はご遠慮ください。

 

小学校6年生になったとき、母親からある選択をせまられるわけですね。

「国立大附属の中学校を受験する」or「公立中学校に進学する」

 

受験…失敗したら「自分はバカだ」と証明することになってしまう…

それに当時は家庭科や体育の実技教科も受験科目としてあったんですね。

私はかなりの運動音痴に手先は不器用…。

臆病な私は公立中学校進学を選択します。

 

中学校に入学してから、性格がかなり暗くなります。

思春期も始まり、「姉はこの地区トップの進学校、妹は優秀な国立大附属の小学校。いったい私はなぜ、こんな空間にいるのだろう。」と悩むようになりました。

 

そんなに荒れていた中学校ではなかったのですが、やはり公立中学校。

生徒間による学力差はあってある意味当然。でも、エリート集団へのあこがれが強かった当時の私は許せなかったんです。

 

つのる周囲への嫌悪感、でもそれ以上に、中学校受験をしなかった自分が大嫌いで自己嫌悪。そして、お酒で酔った母からの嫌がらせも始まりました。

「あんたは勉強できないから、○○高校(偏差値の低い高校の名前)でいいよね」

本当につらかったです。

 

そして、中学1年生のとき、私の人生で一番大きな出来事が起きます。

面談のとき、担任の先生に「性格が暗い、友達がいない」と言われたのです。

そして、教科担任制だったので、私がいない他のクラスの授業時に私の悪口を言っていたことも発覚。

今ならわかります、性格が暗くて「どうせ自分なんて」とひねくれている生徒、かわいげがないし、友達になりたいと周囲が思うわけがないと…。

でも当時の私はそれがわからなかった。

 

そして…中学1年生の冬、誰からも私は愛されないから、生まれて初めて自殺しようって思いました。

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私の部屋にタンスがあって、その上に、使われていない机が脚を上にした状態で置かれていたんです。

中学1年生の私でもひらめきます、「机の脚にベルトをひっかけて首を入れる輪をつくれば首をつることが可能なのではないか」と。

 

結果…

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ベルトが体重に耐えきれず切れました…そして私は見事に落下。

「まだ生きろって神様が言っている…」

 

「どうせ生きるのなら、教育者になりたい。

 私みたいに、親からも先生からも友達からも愛されない子を救うことのできる

 教育者に。」

 

私が生まれて初めて教員になりたいと思ったとき、それはこの自殺未遂が失敗したときです。これが、教育者としての私の原点です。

 

 

つづく…

 

これまでの人生をふりかえってみた①

こんにちは。

ふむにゃんです。

 

ハルオサンの「警察官クビになってからブログ」に感化されてブログをはじめました。

ツイッターでハルオサンに許可もとりました笑)

 

さっそくですが、

これまでの悲劇のヒロイン体質の我が人生を振り返ってみたいと思います。

国際ボランティアをクビになるまでを説明しなくては…。

 

私は、3姉妹の真ん中として生まれました。

人生のピークは幼稚園の頃。

自分で言うのもあれですが、私、めちゃくちゃかわいかったんです。

七五三の写真を見て、「え、これが私!! 超かわいいじゃん」と

自分で思っちゃうくらい笑

モーニング娘。になれるよ」「オーディションを受けてみたら?」

冗談だとしても、ちやほやされるのが嬉しかったです。

 

そして小学校に入学。

このときから、私の悲劇のヒロイン体質は始まっていたのです。

 

姉はいわゆるお受験をして国立大の附属小学校に入学しました。

しかし私は、近所に新しく公立小学校ができたということもあり、

公立小学校に入学。

しかししかし、妹は母の意向で国立大の附属小学校に入学しました。

「公立小学校は教育方針に合わない」とかなんとか…。

そしてこの妹は、後にいわゆる赤門に入学することになります。

 

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このときから、私の学歴コンプレックスは始まっていたのかもしれません。

すみません、長くなりそうなので、中学編は②に続きます。